恋といえば大学時代に精神看護学の教授が「人間は頭でっかちになりすぎて動物のように体が大きいとか鳴き声が綺麗とか単純な基準で繁殖相手を選べなくなってしまいました。そのままでは滅ぶので思考停止するために恋をするんです。恋は精神疾患です」って話したのがインパクト絶大すぎて未だに覚えてる
https://twitter.com/mitsuyakaoru/status/787305463071117312 (via nanashino)
いきなり「自分にしかできないこと」なんて大それたことを考えても無理だということだ。ひとつ、ひとつ、ゆっくりと階段を上っていかねば「自分にしかできないこと」をつかむことはできない。今だから分かる。 真似をして、真似をして、真似をして……、どうしてもこれ以上真似ができないってところまで到達したときに、初めてその人の持味が出てくる。ゼロの状態でいきなり独創性を出そうと焦っても無理である。だから最初は真似る。
戸田智弘『働く理由 99の名言に学ぶシゴト論。』厚徳社 p117 (via toybox-word)
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか? 誰でも幸せに生きる方法のヒントだ もっと力を抜いて楽になるんだ。 苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。 この世は空しいモンだ、 痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。 この世は変わり行くモンだ。 苦を楽に変える事だって出来る。 汚れることもありゃ背負い込む事だってある だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。 この世がどれだけいい加減か分ったか? 苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。 見えてるものにこだわるな。 聞こえるものにしがみつくな。 味や香りなんて人それぞれだろ? 何のアテにもなりゃしない。 揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。 それが『無』ってやつさ。 生きてりゃ色々あるさ。 辛いモノを見ないようにするのは難しい。 でも、そんなもんその場に置いていけよ。 先の事は誰にも見えねぇ。 無理して照らそうとしなくていいのさ。 見えない事を愉しめばいいだろ。 それが生きてる実感ってヤツなんだよ。 正しく生きるのは確かに難しいかもな。 でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。 菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。 愉しんで生きる菩薩になれよ。 全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな 適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。 勘違いするなよ。 非情になれって言ってるんじゃねえ。 夢や空想や慈悲の心を忘れるな、 それができりゃ涅槃はどこにだってある。 生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。 心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。 この般若を覚えとけ。短い言葉だ。 意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。 苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。 嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。 今までの前置きは全部忘れても良いぜ。 でも、これだけは覚えとけ。 気が向いたら呟いてみろ。 心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。 いいか、耳かっぽじってよく聞けよ? 『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』 『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』 心配すんな。大丈夫だ。
般若心経 新訳 (via ayart)
Starring: Lamborghini Egoista
By JayRao
はるかさんはTwitterを使っています: “ロシアのOstagramというプロジェクトで、ニューラルネットワークによって2枚の画像をブレンドして出力する。かなり繊細な処理が為されていて驚く。このカンディンスキーとボッティチェリのブレンドとかやばい。 ”
http://www.gardengadgetzone.com/gardening-gifts/
Honda S800 @ Shinjuku
ダチョウ倶楽部の「押すなよ!押すなよ!絶対押すなよ!」は 「押すなよ!」が『まだ状況確認してるから押すな』で、 「絶対押すなよ!」が『状況確認できたから押せ!』という意味だということを知り、 「押すなといったら押せ」だけではメソッドとして不完全であることを思い知らされた。
豚斬男さんのツイート (via hutaba)
伊藤 祐策(パソコンの大先生)さんのツイート: “誰だ!こんなクソコード書いた奴は!!これのせいで俺の1日が無駄になったんだぞ!!正直に名乗り出ろ!!名乗り出ないならgitの変更履歴から調べてやるからな!!よし調べたぞ!!犯人は俺だ!!!解散!!!”
若い頃、すぐ氾濫する川のそばに住んでて、記録的な大雨のあと冠水した道路に大量のフナがじっと死ぬのを待ってるように浅い水溜りの中にいて、たまらない気持ちになり、バケツに片っ端からすくい上げては川に戻しに行く、と言うのを何往復も繰り返していて、 道端のおっさんが「あんた何してんの」と声をかけてきて、フナを川に戻してます、と言うと二往復くらいバケツを持つのを手伝ってくれて、「あんたいつかフナが恩返しに来てくれるよ」と声をかけられ、(フナがいつか恩返しに来てくれるのか)と漠然と心にずっと残ってたのだけど、 最近ふと夫の誕生日が2月7日で「フナの日」であることに気づいて(あっ!!)と思い、夫に「あの時のフナなの?」と震えながら聞いている
マタタビさんのツイート (via tkr)
1931 Ford Model A Sedan
© Jason Graham