今年2年ぶりにタケノコを買ってきた、ハハ。何せ自然のものだからキノコみたいに瓶の中で生やして作るわけにいかず、裏年には少ない国内産は目が飛び出るほど高く一本2千円以上するので正直手が出ない、今年は気候も温かくタケノコも当たり年でおかげさまでたけのこご飯にありつけた。いや豊作というものは有難い、選挙にも裏年、豊作というものがあるのか、ハハ。今地方選挙の第2弾があってここ甲府でも市議会選挙の選挙カーが毎日裏道にまで入ってきて投票を呼び掛けている、が実はその前県議会選挙の時には甲府は無投票で選挙はなく、初めて無投票になった。今地方議会は無投票が問題になっているが実際選挙になっても投票に行く人が少なく5割を割る投票率が当たり前のような事態になっている、その原因はタケノコのようにこの国はヒトも当たりが少ない?のか、だってどんな人なのか分からないのが実態でそういう人を選ばなければならないこと自体に無理がある?、アハハ。例えば私のように政治の仕方を批判するとされる側は批判されるのが嫌だから、隠して表沙汰にしないすなわち政治が解らなくなるようにしたがる、それが日本の政治が分かりにくくなり国民の目から隠され投票したくとも政治の中身がわからないから投票できない、それが投票率が悪い原因になる。そういう政治を繰り返してきたから今があり、政治の無関心が出来上がった、隠し事政治は確かに政治家にとっては都合が良いかもしれないが、国民にとっては政治が益々自分から遠く離れ他人事になって行く、それが今の無投票選挙になってしまった、のではないか?。そして麻生副総理の「選挙に関心がないことは悪いことではない」という端から民主主義は不必要という政治家自身の主張になって批判を嫌う政治がカルトを作り上げて行く。それは実は今回岸田総理が襲われた民主主義の否定行動につながっていく結果になる、と私は思う。選挙で自分の思いが政治に届かないなら直接行動しかない、と思う者が出て来ても不思議ではなく、それが民主主義のなかった戦前と同じ社会に結果になっていく。それは政治家自身が自らを批判されることを嫌った(傲慢さ)上に作り上げた日本社会の姿だと、言えるのではないか。人間はタケノコみたいに当たり外れは見た目では分からない、互いに理解し合う関係を作り上げなければ、社会は創り上げられない。国民に隠して都合の悪い政治をしてきたから今の日本社会は生きづらい(カルト)国家になった?。自分の生活(政治)を豊作にしたいなら人任せ(他人事)にするな、ということではないかハハ。
超越的現象学
ガソリンの値上げが騒がれているが、最近の食品、日用品など身近なものの値上がりが凄まじい、それもそのはずで円安がすでに122円を超え日本の場合エネルギーだけでなく食品や生活必需品のほとんどが輸入に頼っていて、これほど円安になれば輸入品より国産品の方が安くなるはずだが、悲しいかなモノづくりの工場はほとんど海外に移転または下請け化して、国内では作られていない。おそらく日本政府はそれを国内回帰を頼みに円安を放置しているところもあろうが、果たしてモノづくりの国内回帰は思い通りにいくのか?。それというのも凄まじい国債発行で円高にしたくとも利上げすれば忽ち国債の利率が上がり利払いだけで日本経済は破綻しかねない状況に追い込まれていて、ロシア同様ルーブル安を笑っていられる状況にはない。むしろロシアは輸出するエネルギーをルーブル支払いに転換してルーブル保護に回れるが日本の場合ドル以外決済の方法がない、3月は各企業の春闘回答が出そろうが、賃上げは1.4㌫にとどまり到底政府の診こす3㌫には及ばず、物価の値上がり2㌫にも追い付かず今年も実質国民所得は下がり続ける公算が強い。今岸田総理はG7で欧州に出かけているが、日本政府の政治はすべからくG7はじめ外国政府の後からそれに追随する手法を取り一見危なげない手段をとっているように見えているが、他に先んじて自らの立場を守る手段としては果たしてどうなのか?。その結果が今の円安大規模借金財政になっている。これでも国を安全に保っている状態といえるのか。少なくとも私にはそうは見えない。今回のウクライナ危機でも遠い国の戦乱だと思っている人が多いが、今の日本政治の在り方は自ら危険を呼び込む姿勢を持ち続けていることは、フランスのリベラシオン誌の風刺画ではないが日本の保守政治の否定原理(アベ政治元祖ロシア式プロバガンダ)を(それが日本社会の虐め虐待、人格否定の誹謗中傷に繫がっている)考えれば、決して他人事では済まないと見える、すでに経済状態は危機に突入しているとみても不思議ではない。この円安物価高にして国民の収入は下がる一方でそれを止める手段を日本政府は持ちえない。しかも政治と業者による利権縄張り意識により肝心のエネルギー転換が進まず、今も電力危機が毎日政府自身の口から叫ばれている。これで国民に安心して毎日生活できるといえるのか?。それでもこのまま保守政治を続ける自信が今の政府にはあると?。
23日の演説の中でゼレンスキー氏は日本をアジアのリーダーと呼んで(読まされて)いたが、ことあるごとにアジアのリーダー達は中国に集まるが日本に一度として集まった経緯などはない、そもそもG7を世界のリーダーと誰か認めているのか?。アメリカは既に自ら世界のリーダーから降りたハズではなかったのか。ただアメリカにくっついているだけの国をアジアはリーダーとは認められないだろう。ロシアによく似た戦争好きな国としか見ていないのではないか歴史の経緯を見ても。アジアの真のリーダーになりたければ今の中国を変えるくらいの実力を持たなければ真のリーダーとは言えない、ただアメリカにくっついてお裾分け(経済、軍事)をおねだりしているようでは、真のリーダーにはなれまい。それには何より保守主義の「脱亜入欧」の欧米コンプレックスから抜け出す必要があり、アジアの一員であることをアジア各国に納得させる必要があろう。いづれにしても、これまでの生き物の歴史の流れをみると、人類の種としての繁栄のピークは過ぎたのではないか、この後共食いによって絶滅するのか、それを生き物として初めて乗り越えられるのかは人類の知恵の在り方に依るのではないか?。
いつもお読みいただきそして内容に賛同くださりありがとうございます、hidewaku様のブログも時々見せていただいております、また小鳥たちの可愛い写真掲載してください、私はあの声にとても癒されています。
10月に入り物価が一気に上がった、コメの値段が今まで5㎏を買えた金額で2㎏しか買えなくなった、更に上がったのが野菜類だ、報道では日本の野菜の輸出が伸びていてその理由は安全だからということらしい、その結果国内で安く売るより輸出する方が高く売れるから、コメも同じ理由で国内で出荷量が落ちているから非常に高くなっているのではないか?、私は独りだから買い物もそんなにかからなかったが最近は5千円でも途中で足りなくなり一度の買い物を2回ATMでカネを下ろさなければ足りなくなった。能登災害にも寄付をしたいが自分の生活が厳しくなりそれどころではない、子供のいる家庭にも時々ではあるがフードバンクにお米をと思っているがこの値段ではとてもそれどころではない、一日食パン一切れで過ごしているという話しもニュースにはある、この選挙で日本は一時のわずかなカネで票を売っている場合では無い、はっきり言うがこの失われた30年の自民党政治では日本は世界についていけない。この先選挙が終われば日本は大きく変わることを考えておく必要がある。それに備えた行動が必要で政治に関心がない、ではもう済まされない。そんなことを言っていれば忽ち自分の暮らしに響いてくる、何故なら日本の外の国々では今は非常時なのだ。この選挙が終われば私たちもそのことを認識しなければならなくなる、そのことを努々忘れないよう心して臨むことが肝要だ。<みんなで崖から飛び降りるのか?>。
超越的現象学
埼玉県富士見市の女教師によるカレー混入事件は日本の教育問題を根底から揺るがす事件で、それは日本社会の問題そのものが持つ偏った社会が作り出す特有のものだろうと云える、教師になるのに教員試験を受かりさえすればそれで資格が出来て教員になれるこの国の新卒重視社会の在り方は教師だけでなく日本社会全てに異常な社会構造をもたらしている。それは教師に限らず新卒者でなければ採用を嫌がる日本社会の歪んだ姿が様々な社会のゆがみとなって出ている。今回の事件ももし彼女が一度でも社会経験をして教師になっていたらこんなバカな事件は起こしていなかった可能性が高い。その中には今の日本の教育界という狭い井戸の中の序列制度が哀しいまでの身分保障の姿を持っているからで、教育界の中で何も知らない新人の方が扱いやすく簡単に序列制度に組み込むことが出来る新卒者を最優先したがるのは日本社会全般に組み込まれたこの目に見えない序列制度ゆえの社会構造、つまりアベ保守社会(実は統一教会思想)の悲喜劇と云える。そして今回の事件が示す通り、その序列制度から外された者がどんな行動をとるか、他のブログにも書いたが、序列から外された恐怖のしわ寄せはこの国では自分より弱い者に行く、それがこのカレー混入事件で普通の事件だ、それゆえその者が適正な人物かどうかなど無視されてしまう。安倍元総理の事件がいかに異常な事件かよく理解できる、但し安倍氏が本当に政治家にふさわしい人物だったどうかも無視されていたのは同じ(そこにはこの国の社会的序列と家系的序列が個人にのしかかる)。しかも当日のうちに犯人像が銃マニアによる犯行だという方向性まで示されていたことに、この事件がいかに歴史的なものか、それは普通権力者が殺されたとなればその仲間たちは大騒ぎになるのに今回は声ひとつ出さない、つまり脅すことが出来ない相手であることを彼らは知っていたからに他ならない。しかも国葬にすることをいち早く決めたことに今回カレー混入の反応を見ればその気持ちがすべて表されている(キャリアや適性より序列重視社会の悲劇)。何が言いたいかお分かりだろう。この目に見えない序列社会に軋みが出来たゆえに起きた二つの事件、決して別々の事件ではない、ということを私たちは忘れてはならない。<革命的創造力が生まれない絶望国家> ここまでくればもう解は出たようなものだ。しかもタイミングよく、プーチン氏が外国の政治を変えるためにどこから工面したのか3億ドル以上ものカネを使ったとか、その答えを外国からもらうのか?この国では。
こんばんは、今君は何を悩んでいるんだろう?。もしかして両親の不仲、当たりかい、そして君はまだ10歳の少年?、それとも少女かな。それは心配だな、君が一人前の大人になる前に両親がもし離婚だなんてことになれば大変だからな、わかるよ、ボクも君の年になる前に既に母親しかいなかったから、そしてそんなボクからのアドバイスをひとつあげよう、もしまだ君の両親が決定的に別れる前なら君が10歳の少年なら毎朝起きたら母親には「お早う、お母さん大好きだよ」と言うんだ、そして父親には「お父さんあなたは偉大だ」と。もし君が10歳の少女なら毎朝父親に「お早うお父さん大好きよ」そして母親には「お母さん、あなたは偉大よ」と18歳になるまで毎日言い続けるのさ。これを忘れてはいけないよ、もし照れ臭かったら君自身がこれに近い言葉を見つけて言うことさ、18歳になるまで毎日言うんだ。そうすれば君はその家で18歳になるまで両親と一緒に暮らせるだろう。そう高校3年生になるまでだ、そのあとは君自身がそれまでに大人になっておけば大丈夫だろう?。もしそれまでに両親の仲が良くなっていればね。というのも10歳の君が思っているほど両親は本当は大人じゃないんだ。それはディズニーランドに行けば君も分かるだろう?、彼らはみんな体だけ大人になる魔法(本当は集団洗脳というんだ)をかけられた中身は君くらいの子供なんだ。君もこれから学校でかけられるから気を付けるんだ。だから君が少し大人になって両親を大人にしてやるのさ、それが君が本当の大人になるまでの役目だ。しかも君に下の弟、妹がいればその子たちが10歳になったら同じことを教えてあげてくれ、実際今は大変な時代で両親も君たちを育てるのに大変なのは君も分かるだろ?、何しろこの国の大人たちはみな政治家も大人になり切れていない人たちばかりだから、自分のことをおもりするだけで精いっぱいの人たちばかり、それはTVを見ていればよくわかるだろ?。だから両親も大変なんだ。君も18歳になったらもう一人立ちできるように毎日心掛けておこう。そうすればそのあとは野となれ山となれさ。バイバイってね。でもこれだけ大人になり切れないところで君は大人になったら、両親の大変さも分かってあげられるだろう。その時は親孝行してあげればいいさ。じゃ頑張れよ、ボクの言うことを分かれば君はもう立派な大人さ。
大谷選手の騒動でも明らかだが日本人はとかく先に情が走りすぎるきらいがあり、それは詐欺に引っかかりやすいというのも先ず情が走るからであり、その前に理が働けば留まるのに情に突っ走ってブレーキが利かなくなるのは物理的に車の運転でも思考を止めてしまって情に任せてしまうから暴走が起きると考えられる、それは日本人だけに見られる現象という事実からも納得できるのではないか、何故なら車は感情ではなく理で動くものだからであるハハ。よく見られる早とちりなども先に情が走りすぎることから起きると考えれば日本人の早飲み込みも納得がいくだろう。しかしあまりに早急に物事を無反省に飲み込むと、たちまち胸やけを起こす、しかも全員がそういうものの考えだから誰もそれを止める者がいない、今回の大谷騒動がそれを見事に証明して見せた。しかもそれが日本に留まらず国際的な問題となる時代である。そういう日本人の気質が国内の問題に留まらず物議をかます時代になり騒動になると、日本文化は一人日本人の問題では済まなくなる。例えばリニアの騒動にしても結局経済的損失のことを考えれば情に先走ることがいかに大きな損失になるか、事を起こす前に少し考えてから手を付けるかどうか考えれば、今回のような問題は少なくとも先に手を打てたはずであった、後から解決しなければならなくなるとそれがどんな大きな損失になるか、それは詐欺に引っかかるのと同じ結果となる。それでもみんな日本文化は優れていると主張するのか?、もう少し理を働かせて行動する前に考える必要がありはしないか、たとえ良いことだと思えてもそれがほかの問題に波及することを先に考えれば、必ずしも良いことだとは限らないことが分かってくることもあるのだ。ことをおこすのはそれからでも遅くない、国会の議論が何の役にも立たないのは利ばかりが先立ちリスクに対する議論がおろそかになる今の政治の在り方にあり、それが日本全体の損失になることが無視されているからに他ならない、それはむしろ政治的立場による利害というより先に情に走るからではないか、それ以前の問題がなおざりになっている日本文化そのものの欠陥という方が近い、今ある姿に何か問題意識を積み上げると生きづらさを増すばかりだと私は思う、日本は先ずそこからやり直す必要があると思うが如何に。
超越的現象学
いやぁ驚いたね、川口市の立てこもり事件の長久保某容疑者(?)の達筆、私は自分がヘビがのたくったような字しか書けないのであの容姿(失礼)からは想像できない彼を取材していたジャーナリストとの手紙の文には感心した。およそ彼の文と行動との釣り合いの取れないものに私は悲哀すら感じざるを得ない。およそ世の中の犯罪でか弱い女性を人質にとるという卑劣さには彼の性格的な弱さが表されているのだろう。それはあの大阪の26人もの犠牲者を出した精神科医院の放火事件にも共通するが、この種の犯罪の最たるものがあのオウム真理教事件といえるだろう。かく言う私も実は危ない年ごろがあった、おそらく日本人でそういう時期を持たなかった人間は居ないのではないか、と私は密かに想っている。それは私のブログを読まれている人も感じておられるのかもしれないが、そのちょうど危ない時期に私は幸運にも人に巡り合い、書物に巡り合ってその難を逃れて今に至っているというのが偽らざる心情である、ハハ。これまでも何度かその問題には触れてきた、日本社会の姿、その極限は太平洋戦争の結末であり、そのままほ放っておくと日本社会はとてつもない悲惨な状況になるのは既に歴史が証明しており、今更私が説明する必要もない、しかしてその悲惨さをおそらくあの長久保容疑者も指摘したかったのではないだろうか、ただ不幸なことに彼は自分のこの社会において身の置き所を失い、あんな犯罪に陥らざるを得なくなったこと、それはオウムの故浅原死刑囚も同じことで、単刀直入に言えば、この日本社会の狂気(否定の原理)が彼らを犯罪者に追い詰めてしまうものを内包しているからに他ならない。それは種類こそ違うが今回の持続化給付詐欺事件もこの政策の在り方が見方を変えれば彼らを犯罪者に仕立て上げてしまった、とも言えなくもあるまい。その姿は性善説によるものなどという生易しいものではなく、私がこのブログを通してずっと警告し続けてきた、日本社会の危うさであり国際社会と相いれない狂気の姿を内包している姿と云えるのである。短いブログの文章でこれを説明するには大変で、それはこれまでの私のブログを読んでいただくしかないが、今の日本社会の体制から見ればそれこそ私こそクルッテいるようにしか見えないだろう、と私は常日頃考え、そのために文章の在り方に気を付けこれまでどうしたら人々に気づいてもらえるかを必死に考えてきた。それを救ってくれたのが青春時代に私を文学に眼を開かせてくれた父のような存在と、書物、例えば倉田百三の「愛と認識との出発」であり、フッサールの「超越論」であり、またアランの「芸術論集」、更に詩人の金子みすゞの詩であった。金子みすゞの昼間の見えない星の詩こそ、真実こそ見えないがそこにちゃんとあるんだよ、<明るければすべてが見える>というものではない、ということを私に教えてくれた救い主だった、それで私は自分が<あきめくら>であることに気づいたのだった、アハハ。そんなことより、今の犯罪者を作り上げるこの日本社会の体制、それをどうするか?、解決しないと今後あのオウムサリン事件よりもっと悲惨な核戦争を誘発(自己否定)することになりはしないか?、と私が恐れているのはそこだ。
超越的現象学
山梨県道志村のキャンプ場で行方不明になった小倉美咲さんの遺留物ではないかとみられる骨と運動靴などが見つかった中で骨のDNAは今回の検査では検出されなかったというが、それにしてもこの発見は貴重な手がかりになることは間違いないはずだ。というのも何年にもわたって雨ざらしになっていた遺留品には様々な残留物が残されているはずで、中でもそこには自然界の土や堆積物がそのまま残されているはずで、その残存物から実際に骨や靴、靴下がどのあたりにあったものなのかが科学的に割り出されるからだ。そして実際に見つかった場所に何年もあったものなのか、ほかの場所から移動されたものなのかがわかるだろう。ニュースで聞く限り遺留品が見つかった場所は3年前にも捜索がされた場所でその時には何も見つからなかった場所で、特に美咲さんがいなくなったキャンプ場からは急斜面の峰と谷を二つも超えなければいけない場所だという、地元の山をよく知る人物もどう考えても普通の人がそんな場所に行き着く可能性はない所だと話していることからも、遺留物とみられるものが発見された不自然さはぬぐい切れない、しかも例えば動物によって運ばれたとしたらほかの部位も散らばっていなければ説明がつかない。そういう疑問を今回の発見は解決してくれる可能性が高い。警察の鑑定の結果に期待したい。靴や靴下などの繊維にはそれらが置かれていた環境の思いもよらない場所の鑑定結果が得られるのではないか。もしそれらの遺留物が美咲さんのものかどうかを含め一日も早い彼女の居場所が分かることを期待したい。
またまた激震が走る荒波の小舟、取り残された感想は?、かつて安倍元総理は「ロシアには騙された」と嘆いたが騙されたのはロシアだけではなかった、その代償が自身の命だったことはもう隠すすべもない。私のブログを無視し続けてきたメディアはじめ各界の向きは今や黙りこくって知らんぷり、しかし現実はそれで済む話ではない。これからその荒波は確実にこの国を襲うことになる。「起こったことは仕方ない」で済む問題ではない。それでなくとも次第に少なくなっていくその数、少子化だから当然の成り行き、既に周回遅れが人数不足でさらに加速していく保守日本、これまでの責任をどう取っていくのかオラ知らん、のままでは済まされまい。もちろん追随してきたメディア、産業界もまた一億層何とかで逃げるつもりなのか、これから始まる地獄の4年間、あなたたちがここまで導いたこの道「歴史修正主義」で済ますことにはならない。だって確かに歴史は保守主義の言うような修正はされないまま中米関係も進みそうなんだから。トランプ氏と習氏の率直な話はあのロケットマンと称した金氏と会った後の「好青年」に変わったトランプ氏の態度からも既に見えていた筈だったのだから。<米中から相手にされないこれから日本どうする?>。
分かりやすすぎやろ!いろいろと、自慢したい相手の言動は大々的に公表し、都合の悪い人物との話は厳重にオミットするその代表的なものがヤフーの孫氏とのビジネスはアメリカのメディアが過去の投資の失敗話まで持ちだしてその悪者扱いは他の投資家の見本扱い、一方の故安倍氏夫人との密会はまるで一言も外に漏らさないほどの警戒ぶり、これではトランプ氏が全部自分の行状を白状しているのと変わらない、こんなにも分かりやすい人物は大統領中でも傑出している。そしてアメリカメディアの解りやすさもまたトラんブ氏と大差ない。まさに裸の王様の大行列という様ではないか、そして日本のメディアもまたいかにも心から「ホット一息」した様子を見事に表現、それが日本政府の国会対応の手のひら返しに見事に反映して、この一連の日米の政治とメディアの針の孔の先でも覗かん見たいな心の研ぎ澄まし状態は見ていて圧巻だった。自らなぞなぞを解いて世界に見せたこの幕引き劇、私は十分に楽しませてもらったが周囲の状況ははたして?。韓国や台湾は少なくともこの先決して日本をタダでは済まさせない気持ちがさらに高まったのではないだろうか。私には更に不安が大きくなっただけの一幕、次の幕が開いた時に一体何が起きるのか?、日米開戦の後はいつの世も波乱含み。
先日自民党の杉田水脈議員が札幌法務局からアイヌ民族に対する発言は人権無視の違憲言動だとして大きな反響があったが、それだけではなく杉田氏は同性愛者も生産性がない人たちだという趣旨の発言もしていた、それも国会の場で発言しているのを自民党は何の御咎めもなく許していた。しかしその持つ意味はもっと恐ろしいものがあると私は思う、一緒の空気を吸うのもイヤだ、というのはその存在を否定するものでこの世から消えてなくなれと同じ意味を持つ、それは名古屋入管で起きたスリランカ人女性死亡事件の経緯を連想させる人権擁護無視とほとんど同じ匂いのする言葉であり、そういう考えを持つ人物が政権党の中に居ること自体本来許してはならない事態ではないか、そしてこうしたある特定の人の存在価値を断定するような評価、「生産性がないとか低い」という言葉こそ実は差別の本質的な評価であり、この国で女性、子どもが低く見られる原因がまさにこの価値評価による「人の見立て」でありかつて人身売買の元になっていたものではないか、それが現代になり子供や女性の売買が出来なくなり、その評価を低く見下すものこそが「生産性が低い」であり子供の社会での価値観の低さを少子化に結び付けている社会的評価が今ではその対象が老人にまで広がり「集団自殺しろ」という言葉につながるのである。それはこの国が人権無視が当たり前の国であることを意味し、スリランカ人女性を死亡させて何の罪の意識もない今の体制に見事に表されている、<ウィシュマさんが実際に亡くなった今でも本人は看守の注意を引くために大げさに騒いでいた、という医師の意見を政府は裁判で採用しているというからその人権軽視感覚は狂人に近い>。それはかつてこの国の一部の人間(特権階級)を除いてほとんど人権が認められていなかった歴史をきちんと評価し直視してこなかったことによるものだと私は思う。そうした意味でもこの国の教育は間違っていて人を人としてきちんと評価し得ない日本の歴史の在り方を変えなければ、この少子化は国家が無くなるまで止まらないぞ。