明治以降サムライが商売してうまくいったためしはない、サムライは所詮喧嘩が上手いだけ、商売(経済)は喧嘩ではない。それがこの国の政治が上手くいかない基本理由、違うか?。そもそも外国とうまくお付き合いして儲けるには商人の手法が必要で喧嘩をやって相手から分捕る手法では近所づきあいは険悪になるばかり。自民党の政治はそれが実に分かりやすい、自民党のサムライ政治は相手を怒らすばかり、しかも国民は脅して「あぁしろ、こうしろ」ばかり。そんな商売がうまくいくわけがない、所詮馬鹿の一つ覚え(ケンカ)商売、複雑な駆け引きが必要な取引がサムライにできるわけはない。この世界は自分より弱い国ばかりではなく、今度は強い相手(強国)にはヘイコラするばかり、これも弱いサムライの世渡り下手がそのまま。これが日本の実情の姿、違うか?。自民党さんそろそろサムライ商売から手を引いたら、そうしないと江戸時代の終焉と同じ結果になるよ。今はもう150年前と同じ列強が周りを囲んで第2の開国を迫り、クロフネがわんさか押しかけている。しかも国内は全てに人材が足りなくてカネも足りない、何をどうしたって喧嘩にはならない。少しくらいテッポウ(時代遅れのミサイル)を仕入れてみたって焼け石に水。違うかい?。生ぬるい湯につかりすぎた時間はもう戻らない。自分たちの時代は終わった、という観念も必要ではないか。統一教会に洗脳されて「日本を取り戻す」もへったくれもないだろう、どうせ大陸儒教カルトに乗っ取られている体が、自民党さん日本を取り戻すまえに統一教会から日本人が取られた莫大なカネ(大切な老後資金)を取り戻すのが先ではないか?。国民の皆さんも自公他(保守)と心中するつもりなの?。
どう?あのルフィ、キムの強盗殺傷事件がまるでなかったかのように日本社会から消えてしまった(何故だ?)、これが日本(闇統制、ひょっとして安倍晋三氏銃殺事件は?)社会のコワサなのだ。
ーチャコちゃんに叱られるー
岸田総理の危機対応には何とか国民の目を逸らしさえすればこの危機は逃れられると思っているフシがある、が問題は国民の目ではない日本そのものに危機の本質があることに岸田総理は未だ気付いていない。だから能登地震の災害対応に遅れがあって災害救助システムが政治になくても、国民を政治不信から誤魔化す手段はいろいろ取り揃えてある。日本の政治はゴロツキ政治で東京新聞も書いているが政治屋という政治を利用した商売人たちの一大産業で、今回はその業界が大脱税劇を繰り広げていた、という事件だった。自分たちで法律を作りその抜け穴をいくつも作っておいてバレたら目くらましを国民に食らわせ逃げ切ろうとしている。それもこれも原因は「他人事文化」による国民の無知と無関心にある。それを盾に政治屋たちは逃げ切ろうとしているのが現状で、危機の本質が自分たちにあることなど全く認識していない、だからこのままでは日本は崩壊する。既に半分以上壊れているが政治屋は自分たちの牙城が壊れているという意識がないから全く危機感がないのだ、ただ危機を口にして国民から逃げ遂せると高をくくっているのがウソ偽らざる現状、その間にも日本本体は屋台骨がグラグラ、特にフクシマや能登半島など新聞にも大きく書かれているが石川などは震災の危機意識が全くなかったため、今後どうやって復興していくのかそのビジョンさえない、だから復興そのものにこの後どんな街づくりをしていくのか全く見えていないからただ手を付けても無駄なカネをつぎ込むだけに終わる可能性さえあるのだ。人口減少が街づくりの規模さえ見失っている現在の日本、一度壊れた夢は再建の手続きさえ失う。そして危機感のない政治、官僚体制そのものが復興を遅らせている本体である。そして、私が特に言いたいのは日本人は命を軽んじる否定精神の伝統に依拠しすぎている、それが少子化の本当の理由である。宗教心は失っても命に対する信仰は失ってはならないと私は思う。
ーシレっ~と生きてんじゃね~ヨー
いよいよ裏ガネ御本尊の出現か?、ハハ。オイシイ汁を隠れて吸っていたけど自民党のマヅイお芝居でそれもアウト、ヘヘ、そして何より政治と共に同罪もしくはそれ以上なのがメディア、何十年も統一教会との蜜月を隠し続けてきたのもメディアの協力なくして出来ることではなかったハズ。その権力の裏の統一教会の先に隠れていた存在というわけか。これだけ日本の危機が深刻になってもその存在は自身が幻想の夢の中でそんなことはまるで浮世の幽霊でも語るかのようにそんな存在だから国民はまるで狐につままれたように今まで全く分からずにいた、がこれからどうするつもりなのか。政治利権も日本がこれほど貧困になってくると自民党自体が弱体化して余計なところにカネを回せなくなってくる。それが今の騒ぎに直接繋がっていることは既に国民もうすうす気づいているが、だからと言ってこれまでの体制を崩すわけにはいかないだろう。そうなると否応なしに表に顔を出さざるを得なくなる?、最近どうもイラついているようでメディアも気が気ではない、そんな様子がチラチラ見えている、何故ならアベノミクスの目的が経済政策などというのは名ばかりだったのはメディアも百も承知だった筈だから。さしもこの夏はまた猛暑の予感、幽霊様は毎夜その青白い顔を更に醜く痙攣させて総理大臣公邸に夜な夜な「ウラメシや~」と御出座するかも。さてさて、これから下々の民はこの夏更にヒモジイ暮らしに耐えなければならなくなるかも、だってピラミッドの上から落ちるシャンパンは皆海外に出稼ぎにいって戻らないカノ女たちが運んでいたモノだったんだから?。<それはウラ金がバレても彼らは目的を諦めていないから、して次は黒田(マイナス)バズーカ→植田湿気鉄砲総裁に聞け(ジュポ、あ゜水鉄砲撃っちゃった)>。
ウクライナの戦争は更に混迷を世界に植え続けている、ゼレンスキー氏はこの戦争は独裁主義からの侵略に対する民主主義の戦いと言っているがその肝心の民主主義が根元から揺らいでいる。アメリカの民主主義は共和党の側から見るとまるで建前でしかないかのように軽視され、それが対ロシアに対する戦争にも大きく影響している。欧州の政治も今は決して一枚岩とは言えず、あちこちでかつてのナチスを標榜する右派政治勢力が復活しつつあり、それがウクライナの戦争に危険な予兆を与え、しかも中国を中心とするグローバルサウスと呼ばれる勢力は中東の勢力を巻き込んで更に反米集団になりつつあり、これまで世界をけん引してきたアメリカを中心とする云わば自由勢力集団は次第に劣勢に陥りつつある、その原因が所謂民主主義の衰退でありアメリカの政治の変容こそその原因を作り出したことを、アメリカ自身が民主主義を建前とみなした動きに依拠しているが、果たして民主主義は本当に人類の生きる上での建前でしかないのか?。そのことを人類はもう一度自分に問いかけてみる必要がありはしないか、世界は今それ以前の暴力主義の時代に戻ろうとしているかのようだが、ポピュリズムといういわば人間の知性を否定する非知性主義はトランプ氏を代表するような人間の理性による自己制御を軽視する暴力による圧制を許す半人半獣のギリシャ神話のような哲学の成立する前の時代に先祖返りをしようとする動きで、現にトランプ氏は前妻との娘であるイヴァンカ氏との性的関係まで自ら赤裸々に語っていたとニューズウイーク誌には報じられていた。その真贋はどうかは知らないが少なくとも有名な一流メディアがまさかフェイクニュースを載せ自ら信用を失う行為はするまい。アメリカの政治の世界がそういう人物によって統治されていた事実は消えないし、もしこのことが事実で今でも再び大統領選に出馬しようとして勢力を保っているとしたら私にはアメリカという社会のことが理解不能でしかない、この人類の退行現象が本物なら、既に人類は明らかに衰退を始めたと言える。人類のテクノロジーの進化が逆に人類の反知性主義を喚起しているというこの皮肉な現象は人類の限界を自らに吐露したものなのか?。それを今私たちは自分に問いかけているのか。人類はもう限界なのか、それとも今の危機を克服してその先を見つけ出すのか、分かれ道が迫っている?。
超越的現象学
今ロシアでは政府のプロバガンダに対して有意ある国民のそれに抵抗する姿が盛んにメディアに登場している。一方でここ日本ではどうなのか、それほどセンセーショナルに騒がれていないのは実はこの国は昔からプロバガンダが普通に行われてきた経緯があり、誰もそれに違和感を感じないのが普通だ。例えば死刑制度、国民の8割以上が死刑制度に賛成するこの国ではそれに反対する国民は国民のうちには入れてもらえない。そういう事実はこの国ではすべて無視されていることは世界ではあまり報道されない。国会議員の女性の割合でも日本は世界の中でも下から数えるほうがはるかに速いおそらく120位以下でしかない。そうした基本的事実を無視して日本は民主主義国家のしかもG7の一員だ。先日アメリカでもボストンマラソンに爆弾を仕掛けた当時の犯人に死刑復活が適用されたニュースが出ていたが、アメリカでもあちこちの州で死刑復活の動きが進んでいる。日本では死刑制度がある中で死刑になるような犯罪数が減っているかといえば、むしろ死刑適用になるような重罪犯罪は増えている、もちろん政府の統計は減っていると公表しているが、毎日のように殺人事件が起きていることを考えると、政府の言葉とは裏腹にメディアでは<すでに日本は安全な国ではなくなっている>という言葉が頻繁に使われている矛盾は、誰一人突っ込みを入れる人は出ていない、これだけお笑いが隆盛な社会でも、であるハハ。まさに「民主主義とは何か」である。そして肝心の主題に戻るが、この国の特殊な体制に反対する国民の声はかき消されていて、否定主義社会は万全の体制を誇っている、一人の国家主に対してその他の国民はすべて否定される制度、いわゆるもぐらたたき社会は、どんなに優秀な人間でも一律に洗脳され一人の専制者に対してほかのすべてのバカ国民(JIS規格民)の国<そのJIS規格も最近は偽装検査がまかり通って大分劣化が激しい>となっている。それがこの国の伝統体制であり、それゆえプロバガンダの必要さえない国、いわばロシア以下の国が本当のところであり、皆そんな中必死に生きることに夢中で、政治のことなんかに加か患っているヒマなどない、だからこの国では政治デモさえ起きず、こんなに国民所得が下がっていても誰一人文句さえ言えないほど、生きるのに必死なのだ。
そんな日本のメディアの中にあって、今日の日刊ゲンダイの記事には私の主張にきわめてよく似た日本の政治のロシアと似たか寄ったかのものだという記事があり、この国のジャーナリストにもまったく権力にまかれた軟弱者だけではないことは心強いがそれがこの先どこまで続くか、先の戦争での前例があるだけに心配は決して消えはしない。
超越的現象学
アメリカでは今株価が歴史的下落をしていて、日本ではその原因がインフレによるFRBの急激な利上げショックによるものだと説明しているが、実態はどうか。私は違うと思う、アメリカの富裕層のもつ資産は日本などとは比べ物にならずごくわずかな富裕層が資産のほとんどを持っていてその資産を使い政治に圧力をかけ株価や為替を思うとおりに操作しながら政治を牛耳っているのがその実態で、富裕層に都合の悪い政治には今回のように歴史的な株安を演出し一時的な経済悪化を演出し特に民主党の政治には大きな圧力をかけ、今回のバイデン政権の労働者層により有利な政策を掲げると忽ち経済的下降局面を意図的に作り政治的不安定さを作りあげて、その結果民主党政権はやむなく富裕層に対する増税措置などをあきらめ、今回のように海外からの利益をそれに充てる政策をとるため、海外特に日本のような大人しくアメリカに依存する国に対してキビシイ利益回収策を取らざるを得なくなりそれが今回のTPPに替わるアジア経済連携の形をとるのだ。しかも表向きそれに反対できない国はしぶしぶそれに同意しないと別の形、例えば安全保障や貿易交渉などで不利な状況をさらに政治的圧力として要求する、それは投資の形で行うことが多く忽ちその対象国の株価が下がり為替が不安定になり、例えば対南米の国々のように体制を社会主義にしなければ持たなくなる国が続出してアジアのような大人しくない中南米のラテン系の人々はアメリカと対立が激しくなり、今の南北アメリカの対立はむしろロシア、中国より酷い対立を生むきっかけとなっていて、それをバイデン政権はアジアに持ち込もうとしている。それが対中包囲網だが既に南米の国々の前例を見ればその結果が人口の多い中国に何をもたらすか結果は出ている。特にアマゾンの豊富な資源を狙われアマゾン流域を根こそぎ丸裸にされているブラジルが今政治を変えようとしている現状を見れば、中国がその体制を強化しなければ13億人を超える中国人が飢餓に襲われたら世界はどうなるか日を見るより明らかであり、人類はその問題の本質を誤ると世界の崩壊を現実のものとして受け入れることになる。そしてその豊かさの維持をめぐってご承知のようにアメリカは二分しているのは既に世界がその限界にきていることを表してもいることを忘れてはならない。
私たち(人間)はどれだけ真実を知っているのだろうか?、以前私は言葉は所詮事の端でしかないとブログに書いた、言葉を話し書けるから人間が最も真実を知っていると思い込んでいるのではないか、それはこの国の歴史について私がこれまで書いてきたことをお読みになった人はそれにおそらくと同意されていると思うが、むしろ言葉など持たないあるいは文字など持たない人間以外の生き物の方がよほど真実をしっかり見つめているのではないかと思う。これまで人間のテクノロジーや歴史が間違っていなかったら、これほど地球を痛めつけることもなかったはずでそれは人間が真実を極めてきたという錯覚を見事に打ち破って見せた。そういう人間の思い込みは全て文字と言う記憶に刷り込まれ歴史に刻まれてきた、この前のブログにも書いたが日本の歴史は主に支配者の歴史であり被支配者の歴史はほとんど無視されてきた、その偏った概念が文字に刷り込まれ歴史教科書によって人間に刷り込まれてきたのだ。今その歴史によって持続不可能になりつつある地球を救うためにはそれを質す必要があると私は考える、つまりこれまで歴史を作り上げてきた支配者の概念は人間の持続性を否定するものだということを改めて私たちは認識する必要があり、今アメリカが政治的にも文化的にも非常に混乱しているのはその為であり、その国に付き従う日本は更にその悲劇を味わうことは必至で、このままでは日本に未来がないのは今の不安が決してただの杞憂ではないことを意味する。この危機を乗り越え私たちの子孫に未来を約束するためには今日本は変わらねばならない、それをつべこべ言い募っている余裕はもはやないと私は考えている。そしてこの歴史を変えるために言葉の歴史を変える必要があると思う、これまで私は日本の否定の歴史の経緯をずっと説明してきた。もしあなたが私の意見に賛成されるのなら、この考えにもぜひ賛同されたい、そして真実こそ人間が生き延びるためにはそれを見誤らない人間の生き方が必要であると、何故ならこの歴史において最も危機を乗り越えたのはあのバカでかい恐竜ではなく最も弱い生き物である事実を私たちは知っているからであり、それがこのデリケートな地球で生き残る唯一の術だと思うからである。弱い者が知恵がないという間違った概念こそ人間が歴史を誤ってきた真実であり、人間は決して強くはない、その事実を否定してきたこれまでの人間の在り方自体が間違っているのだ、そのことを私たちは今地球の姿から学び直さなければならない、そして人間の生き方も変えることが必要で、そのことに誰しも異存はないだろう。
今回の安倍氏死亡事件をきっかけに日本の政治と人心のありようがこんなにも離れていることを知る良い機会だったといえるのではないだろうか。めったに起きない事件なだけにそれだけまたこの国の統治の姿がどんなものだったのかを国民は改めて知ったことになると私は思う。そしてこの政治の思想か国の行方を決めてきた結果があの太平洋戦争であり、1960年代の安保政策であり、続く1970年代からの産業振興による環境破壊による健康被害とか今も苦しみ続けている原発事故、そういう社会の姿につながる政治の姿はこうした姿勢から生まれてきたものだったと。それがまた国葬という誤った政治の姿が次の世代に負の遺産として積み重ねられていくことを、どこかで断ち切らないと日本はいつまでも続かないのではないか?。そのことを安倍元総理の非業の死は日本政府と国民に知らせているように思う。しかし安倍政権のこれほどまでの矛盾が何故平然と政治の内部で許容されてきたのか、そこに日本の政治の歴史の恐ろしい狂気が内部で営まれてきたのか、TV番組や特集記事でも政治解説者が政治のご都合主義だ弛緩だのと言っていたが、決してそんな生易しいものではない筈であり、その歴史が今生まれて間もない赤子の虐待に繋がったり、いじめ、のけ者扱い、男尊女辱、誹謗中傷などが多くの自殺者や犯罪を作り出し、しかも国際的には国家、地域差別やまた無理解、無知による被差別な扱いを国際的に受けるなどその一つの姿が、統一教会による日本政治への意趣返しのようなカルト的洗脳など、決して国家と国民に幸せをもたらしてはこなかった原因がそこにあるのではないか。その原因を日本社会は今こそ謙虚に改める機会ではないか?。そうしなければ今回の事件は一体何だったのか、まったく意味のないものになってしまう、と私は思う。このまま政治が意固地になってその歴史を続ければ安倍氏は文字道理無駄死にになってしまう。そして外国に想うがまま利用され更に国民は不幸に苛まされ、政治の犠牲になり続けなければならない。そんなことをここで止める機会が与えられた、と考えることは出来ないか?、私はこれはその唯一の歴史的機会ではないかと考えるが、あなたはどうか?。いづれにしてもこのままでは日本はオワリ。
毎年話題になる報道の自由度ランキングの日本、安倍政権から岸田政権に替わっても報道への締め付けは少しも緩んでいない日本の実情が更に自由度を下げていることを物語る、というのも例えばガザの悲惨な戦況はほとんど外国の報道機関からの情報で日本人ジャーナリストの生の報道を私は見たことがない、普段から政権に都合の悪い情報は流さない政治姿勢を私は事あるごとにこのブログでも書いてきたが今回はそれに日本における報道の「真実性」についても是非とも書いておきたい、日本のSNSで度々話題になる誹謗中傷記事のことは誰しも目にし眉を顰めた経験がおありだろう、それは日本では権力に都合の良い姿の歴史が紡がれてきた経緯がそういう報道を許して来たから例えば事件の被害者を誹謗中傷すると言った理不尽な姿が権力や体制を守ることにつながることが奨励されてきたからに他ならないからではないだろうか、だからウソでも大げさでもそれが権力を守るものなら大目に見られてきた歴史が、今の報道の抑圧に自然に繋がっているのではないか、つい最近でも水俣病と認定されない患者たちの訴えを環境大臣が直接聞く場にて患者たちの声を3分で強制的にマイクを終わらせるというニュースがあった。その場面を見ると時間が来ると途中で環境大臣はその場から退場する姿が映し出されていたが、環境省側が3分という一方的な時間を押し付けられること自体が現場では既に報道を抑圧する事に繋がっている印象が非常に大きく感じられる。それは被害者の懇願することを一方的に遮りたいという権力側の都合を力によって国民に押し付ける行為そのものに他ならない。真実をあまり一般社会に知られたくない日本の歴史のなせる業がこの報道の真実を隠す隠蔽姿勢に繋がっているという現実の姿を彷彿とさせ、教育現場の虐めをひた隠す姿につながるものとして、私には一事が万事だとしか思えない、それはこの国のメディアにも責任の一端がありはしないか?、安倍政権時に権力に忖度するメディアの話題が一時問題視されたが、そういう記事を取り扱うメディアはまるで一つ一つの事件が個々の問題のように扱い、一連のものとして権力の性格を追求する姿勢が欠けていること自体既に権力の顔色を窺いながら取り上げている印象が大きく、国民にできるだけ矮小化して見せてきた歴史はなかったか、それがこの国の歴史を歪曲し隠蔽し果ては捏造してきたことに繋がっていると私は強く思う。そして個人ではなく家族とか事件本人だけでなく周囲の人間まで同罪のように扱う日本の犯罪報道がSNSなどで拡散していく今の日本は明らかに民主主義を否定し家族主義、集団主義、国家主義へと広げていく姿はどう見ても21世紀の社会には見えない。それが今でも死刑制度を8割もの国民が肯定する姿勢に繋がり、報道を歪める原因になっていると私は思う。<ところでこの表題だが、国家の正しい歴史認識こそ自国の弱点の認識を直視しリスクの強化をもたらすからに他ならない、今の日本の劣化が何よりそれを証明している>。人類絶滅の最初の請負民族には心してならないよう気をつけよう。
自民党の政治資金問題が再び政治とカネの不透明さを際立たしているが、そこには自民党はじめ保守政党の思想そのものが果たして本当に日本の国にとっての正しい保守思想なのかという根本的な問いを日本人に突き付けているのではないか、そんな中杉田水脈議員がアイヌ民族を差別する言動を続けているが自民党はお構いなしどころかむしろ日本人にそういう民族差別意識をたきつけているような雰囲気さえあり、その保守思想は日本人の誇りどころか日本人自身の内面を傷つけしかも否定していることを日本人は認識することさえない。それは日本人が大陸、半島の思想をまるで自分のものであるかのように考え本来真正日本人であるアイヌや沖縄の人たちを後から侵入した渡来人が逆差別するいわばアメリカの白人が原住インディアンを差別するのと同じことをしている。そこには明らかに文化的に欧米への劣等意識から生まれた差別意識があり、それは明らかに文化的な後天的教育の賜物であり、それが日本人の場合自己否定に繫がる実に悲劇的な文化だということは私が再三指摘してきた。にもかかわらずその保守文化こそ日本の文化だという勘違いを日本人は頑なに保持している、しかしそれは明らかに洗脳による反日思想でありそれが太平洋戦争の悲惨な歴史を自ら招いたことを日本人は認識する必要があり、その歴史を後生大事に国民にプロバガンダとして押し付ける自民党はその趣旨からして明らかに亡国の大使であり決して日本の保守思想とは相いれない思想であることは間違いない。その代表が安倍政権そのものであることは今や誰しも認めざるを得ない現実だろう。それが明らかになりながら未だ自民党の保守思想が政権を握っていること自体、元々日本の保守政治が統治のための政治ではなく利権(搾取)の為のものである証拠がこの政治資金スキャンダルと言える、しかもこの保守思想そのものが安倍政治の統一教会の思想と同一であるることが何よりの証拠で、私が洗脳思想からの脱却を訴える理由がこれで明らかで、自民党のみならず自ら第2自民党と称する保守補完党も全く同じ「他人事」思想で最後まで自分のものにならない風土であり、これが今の日本の危機を演出する主役たちであることは間違いない、その中でも私は個人的にではあるが、安倍氏の事件以降メディア特に経済界含め保守系メディアの日本の本質的問題意識の鈍感さに恐怖心さえ覚える、日本人は一刻も早くこの洗脳状態から脱出し、自分のモノとしての日本人の能動的創造力を政治思想に創り出し再生させなければ、日本は崩壊する運命にある。